三徳山の歴史や三徳山三佛寺について、投入堂への登山案内など
2013-05-02
三徳山はその昔、修験道の行場として栄えていました。
修験道とは、厳しい自然に身をおいて悟りを開く教えのことです。三徳山は神と仏の宿る霊山として知られ、多くの人々の信仰を集めました。
三徳山は神と仏の宿る霊山として知られ、多くの人々の信仰を集めています。
三徳山の開山は慶雲3年(706)と言われており、2006年には役行者の偉業から数えて開山1300年を迎えました。昔、熱心な修行者である役行者(えんのぎょうじゃ)が蓮の花びらを「この花びらを、神仏にゆかりのあるところへおとしてください。」と空に投げた所、石鎚山(愛媛)・吉野山(奈良)と三徳山に舞い降り、それらの山を修験道の行場として開いたことが三徳山の修験道としての始まりといわれています。
その後、嘉祥2年(849)慈覚大使によって阿弥陀如来・大日如来・釈迦如来の三尊が安置され天台宗三徳山三佛寺と称し、堂舎38宇・寺3千軒・寺領1万町歩・3千石を領していました。
三徳山は朱塗りの宿入橋を入口にした奥山なのが特徴で、豊かな自然と山中に点在する諸道は従古のまま今に残されています。
7~8世紀に奈良を中心に活動していたと思われる修験道の開祖とされている人物です。
「役小角(えんのおづの)」がその本名であると言われ、ほかに「役優婆塞(えんのうばそく)」、「神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ)」、「山上様(さんじょうさま)」などの呼び名があります。もっとも、役行者が、7~8世紀に実在したことは確かなようですが、生没年など詳しいことは不明です。役行者にまつわる伝説は大変多く残されており、それらが記された書物なども数多く伝わっています。それら伝説のなかで、役行者は、不思議な力を駆使して空や野山を駆けめぐり、鬼神を自在にあやつった人とされています。
役行者とは、数々の不可思議な事績を残した偉大な修行者、修験道の開祖として崇められてきた存在です。
三徳山三佛寺本堂は老杉が茂る境内にあり、千有余年の長い間、霊地として保護され、培われてきた仏教の神髄が強くたちこめています。
三徳山の国宝・投入堂への登山はこの本堂裏にある登山事務所で手続きをし参拝します。
- 入山案内 -
本堂までの参詣の方は、参詣受付案内所で入山料をお支払いください。
・大人 400円
・小、中学生 200円
・団体割引 20名様以上でお一人50円引き
三徳山の本堂裏手に「登山事務所」があり、ここで入山届に記入します。登山途中の事故に備え、1人での入山は硬く禁止しています。登山道は滑りやすく危険な場所もありますし、山道を守る為、受付時には靴のチェックがあり靴底の確認をしてもらいます。滑りやすそうな溝の浅いもの・山道を傷めそうなものはダメです。仮に、この靴はダメと言われた場合にはそこでわらじを買い入山することをお勧めします。また、雨天時は入山禁止になりますのでご了承下さい。登山される際は動きやすい服装で、必ず両手両足が自由になるように荷物はリュックなどに入れましょう。山道途中に自販機等はありませんので水などは準備して下さい。タオル・軍手など必要に応じて準備しましょう。
三徳山は修行道と言うだけあってとても険しい難所もあります。くれぐれも気をつけて登山・下山してください。